岡山の繊維産業の礎になること ル・プラ 分島 英二さん

岡山の繊維産業の礎になること ル・プラ

2017/12/22

Text:Canako Inoue Photo:Canako Inoue、仲澤亜希、近藤弘一

今回、岡山産地を案内していただいた、分島 英二さん。
岡山で育ち、東京の大学に通ったのち、岡山に戻り繊維産業に携わって50年余り。岡山の繊維工場で分島さんの顔を知らない方はいないほど有名人です。

岡山の繊維産業の礎になること ル・プラ 分島 英二さん

へえ、ほう、そうをつくる

「岡山の魅力はとにかくのびのびとしているところ。東京と比べると特にね。みんな本業に熱心で、いい人ばっかりじゃろ(笑)」とお話しする分島さん。

東京の大学を卒業後、岡山に戻り自動車工場で6年間整備士を務めたのち、岡山のインナーメーカーの立ち上げの際、営業としてヘッドハンティングを受け、繊維業界に携わるようになったと言います。昭和60年代、下着業界の先駆けでした。

「ファッションは昔から好きで、ポケットチーフを22歳から外したことはないね。」
昔から繊維やファッション業界に興味はあったという分島さん。この日も3重ガーゼのシャツにジャケット、帆布のスニーカーにデニムという若々しいいで立ちでした。週休2日制になった頃、取引の有無にかかわらず土曜日を利用して、岡山の工場を回るようになったと言いいます。
「売り込む立場として、ものがどういう成り立ちで製品へとなっているのか知りたかったんです。」
20代から30代に数多くの工場を回ることで、岡山の工場に熟知して行ったそう。
「何度も通ううち、ああ分島さんか、と言われるようになりました。」

異業種を見ることで新商品が生まれる

35歳で会社ル・プラを立ち上げた分島さん。当初はインナーの開発から始まり、今治タオルの糸を使ったレースのハンカチの企画、洗えるタオルマフラーの後染め、汗も吸水することのできる帽子、帆布の糸を使ったバスマットの開発など、分島さんが企業仲人したのはすべて岡山の工場で作られたもの。製品は多岐にわたり、流行にとらわれず産業の一端を担うようなロングセラーとなる商品ばかりです。
「岡山にはたくさんの工場があるけど、意外と交流が少ない。自分がスターになるのは苦手だけど、縁側に礎があるようなイメージで、そういった企業や産業の礎になったらいいと思うのが私の考えです。」

岡山の繊維産業の礎になること ル・プラ 分島 英二さん

若い人には先のあるものを作っていってほしい

産業として繊維を捉えるには、歴史を紐解くことがとても大事だといいます。
「歴史の流れから、国策としての繊維産業にはどのような背景があったのか知る必要があるのかもしれませんね。日本の産業は早くから繊維産業として成り立ってきましたが、材料を買い付けて日本の技術で加工して、海外にも輸出していく。そういった流れが持てたら良いですね。銀行員だった父は海外をとにかく飛び回っている人で、一緒に暮らした記憶があまりありませんが、元気な人を相手にして商売せえよ、ということをよく言っていました。そのことをずっと覚えています。」

岡山の繊維産業の礎になること ル・プラ 分島 英二さん

モットーは「猪突猛進、進一層」

「自分のことを漢字一文字で表したら「突」ですね。」
どんな時もたゆまず進み続ける、71歳にしてとてもエネルギッシュな分島さん。岡山に訪れた際には必ずお会いしたい一人です。