美学を見つける旅

美学を見つける旅

2020/09/22

ずいぶん大袈裟なタイトルを付けてしまった、、、。
読んでいて拍子抜けしてしまい、寝っころがって読んでるあなたのスマホがあなたの額にぶつかっては困るので、先に断っておきますね。特にご立派な話では無いですよ。

昨年の終わりに、身の丈に合わない、これまた立派なカメラを買いました。
まだ全然使いこなせていないけれど、どこかへ行く時、私の場合は工場などへ行くときに持ち歩き、撮影するようにしています。

2020年も随分いろんな現場へお邪魔したな~と、カメラロールを遡っていて実感します。

神奈川県半原の撚糸工場にて。

最近の私はニットに熱心で、中でも手横と呼ばれる結構アンティークで最高にクールなそれの操り方を近所の職人さんから教わっています。

分解して運びこんだ「手横」のニット機。職人さんが瞬く間に組み上げてくださった。

正直、職人さんがこだわって微調整される部分の多くは私の理解をはるかに超えていて、
「うーーん、、、度目が狂ってる、汚い。」
といった呟きを聞いて生地を覗き込んでは、それのどこが汚いのか素人目には分からず、そこに職人の美学を垣間見ています。

織物工場の奥に掛かる織物の絵画。(八王子市)
シルクスクリーンの色糊を乗せるところが溢れない様に養生しているところ。(八王子市)

美しいものを作る為のこだわりは、一見無意味にも思える努力や工夫・自作の道具でできていたりして、それらの意味を知り腑に落ちる瞬間はなんとも言葉で表現しがたい快感があります。

職人に限った話ではないですが、プロに何かを任せると「なんでそれにそこまでこだわるのか分からない」事態に陥って無性にイライラしてしまったり結果を急いでしまう瞬間があります。でも、その「分からない」が「分かる」になると、むしろ誇らしく感じるのだから不思議です。

プロの技のその訳を知ると、すごいなぁと一層感じることが出来ます。

糸染め工場のロープ染見本。

「凄いところ」が各地各社で異なるのがまた面白くて…。

例えば糸染めでも、中心部まで染液が浸透している美しさがあって、でも、ところ変われば中心部を白く残す美しさがあったりします。滲んでいるのが美しかったり、糸が絡まっているのが美しかったり、穴が空いているのが美しかったり、そのそれぞれの美しさが偶発的な産物ではなくて再現性を伴った成果物でありつづけるのは、職人の美学の賜物ないかっ!なんて、思うわけです。

更には、感動している私を横目に
「仕事だからやるんだよ」とか
照れ隠しなんだか自慢なんだか判別の難しいコメントを添える素っ気ない態度が一周まわって心を鷲掴みにします。

相模原の建具の工場にて。木の表面を研磨している様子。
かすりの織物に使う糸を括っている様子。染めている最中には解けず、染めあがりに外す時にはスッと解ける。

学生時代、生意気に美学について考えていた頃、「へぇ~、英語ではaesthetic(エステティック)って言うんだ」と、アカデミックな響きのある「美学」という単語と、美容エステの印象が強い「エステティック」のギャップに翻弄されたものです。

結局それがなんなのか分からないまま大人になってしまったわけですが、むしろ簡単に見つけるようじゃそれは大したことないんだなと最近思うようになりました。

人が一生をかけて培った美学に及ぶ理論なんて無いんだろうなと感じつつ、自分の人生はどんな美学を見つける旅なんだろうと思いを馳せてみる秋の夜長です。