テキスタイル産地ネットワーク八王子【本編②】

テキスタイル産地ネットワーク八王子【本編②】

2022/12/07

0032547メインイベント2日目です。
1日目だけでも結構な情報量でしたが、2日目も盛りだくさんです。

1日目は街歩きがあったので30名ほどの定員でしたが、2日目は全体で50名ほどご参加いただいて開催する運びとなりました。

会場も、広めの会議室を使用し、適切な距離を保てる席配置で1日目とは異なる班を A ~ H の8組つくりました。結果として、班ごとの話が想像以上に盛り上がり、お隣の班の話し声で自分たちの会話が聞き取りにくくなる反省もありました。(それほどに、近くの方同士で熱く意見交換をしていただけたことはとても嬉しいことです。)

講師と生徒の様なスタイルではなく、スピーカーもそうでない方も平等に参加者であることを意識して内容を構成しました

ところで今回、いくつかお渡しした配布資料の中に、「参加者のプロフィール」があります。これは新たな試みとして、事前に登壇者やスタッフを含む全員の方からお答えいただいた情報をもとに作成したものです。職業などの他に、それぞれの活動地域などが掲載されています。多くの ”濃い” 顔ぶれがそろうこの機会に、人脈の和が広がってほしいという気持ちから作りました。名刺交換以上の効果をもたらしていると良いな、と思います。

総勢50名のプロフィールを一人一人にお渡ししました

さて、本題に戻ります。
2日目は以下の3名にスピーカーを依頼し、以下の内容でお話いただきました

『ものづくり企業の新しい未来を共に模索する』
重松 久惠さん
(D&DEPARTMENTファッション部門コーディネーター/中小企業診断士)
~組紐産地にはじまったものづくりの今~
スペシャルゲスト:株式会社イノウエ 代表取締役社長 井上毅さん

『 地域と向き合い、つながりをデザインする』
赤松 智志さん
(合同会社OULO代表/かえる舎副代/ふじよしだ定住促進センター理事/元地域おこし協力隊)

 

 

『消滅寸前だった前掛け製造技術を引き継ぎ未来へ』
~どう新たな市場を開拓していったのか~
西村 和弘さん
(有限会社エニシング代表取締役社長)

 

 

まず最初にお話しいただいたのは、重松 久惠さんです。
中小企業診断士になったきっかけや、お仕事の内容、事例紹介などを的確に面白くお話しくださいました。
私の班で話題に上がったのは、中小企業診断士と言うと、大抵、スーツを着た年配のオジサンが多く、(オジサンの皆さん、ごめんなさい!悪口ではないです!)女性で、しかもファッション分野に精通した方というのはそもそも、とても珍しい存在なのだそうです。

良くも悪くもファッション業界と縁の深い繊維関連企業にとって、会社の転換期を迎える時、サポートをしてくださる専門家が必要なことは容易に想像できます。

鮮やかな赤のブラウスが冴え冴えとして、話し方はやわらかく、とてもかっこいいです
話し手として登壇をしていただきつつ、班の中で聴き手としてもご参加いただきました

冒頭、重松さんはご自身のキャリアと人生の幸福度 ( ! ) をグラフと共にお話してくださいました。中小企業診断士としての歩みを始めたのは約10年前で、それまではファッションの世界で、海外に住むこと等も経験しながら、様々なお仕事をされていました。

紆余曲折あり失意のどん底にあったとき、偶然手伝った友人のお仕事で大変感謝され、その時の「ありがとう」が幸福度の指針となり、「サポートが向いているよ」と言われたことが今も続く中小企業診断士のキャリアのきっかけに繋がったそうです。

昔、都内の一等地で高級車に乗る生活にはなかった、今、感じている幸せ。
そんなお話を聞きながら、全然、自分とは重なる所のない雲の上の存在の様に感じていたのが、ひとりの人間としては共感することばかりで、いつの間にか自分の人生幸福度グラフを頭に思い浮かべていました。

D&DEPARTMENTでの商品企画の事例紹介の様子

話はお仕事の内容に移り、実際にD&DEPARTMENTやその他企業との関係性の中でどのようなサポートを行っているか、どのような時に頼れる存在なのかを日本の企業の傾向や弱点と共に説明してくださいました。自分の(会社の)ことだ、とギクリとした人、自分もこんなサポート役になりたいと後押しされた人、リアクションは様々でした。

続いて、商品企画や携わった企業の事例紹介。
そこでゲストスピーカーとして神奈川県で製紐業を営む「株式会社イノウエ」から代表取締役社長の井上毅さんがご登壇くださいました。
創業からこれまでの会社の沿革から、2代目が行ったヘアゴム製造の技術革新(カラーバリエーション・継ぎ目のない接着)のお話に、現在の社長が取り組まれていることなど。

組紐機 こちらは大型の機械で、ロープなど極太の製品用です。(ヘアゴムは、ボビンの数がこれの五分の一ほどですが、機械の構造は同じです)組紐の中心にゴムが通っています。

イノウエさんの会社の特徴として、営業・企画フロアの社員さんが多いことがあります。それは工場見学に伺った際にすごく感じた事でした。
下の図と共に説明してくださったのですが、意識的に改革を行っていったそうで、製造業を営む中小零細企業に多い、『社長=職人、以上。』といった形態ではなく、社長が経営をし、売れるものを開発する人間がいて、それを具現化する現場の下支えがある構造。当たり前の様でいてとっても難しいことを実現していらっしゃいます。

人数配分の図。決して現場を軽視しているわけではありません。

そして重松さんと共に開発したプロジェクトのひとつとして MY RUBBER というオリジナルブランドのご紹介もありました。イノウエさんは国内製造のヘアゴムのトップシェアをお持ちですが、それにあぐらをかくことなく様々なチャレンジをしていました。正直、チャレンジと言うと「気持ち」で進むような印象を受けますが、実際はどんな挑戦にも「お金」が必要だし、そこを踏まえたうえで、また社員の皆さんの理解も得ながら進んでおられることが本当に素晴らしいと思いました。

お昼休みを挟んで、一旦記念撮影。
この顔ぶれが、再びここに集まる日はもう訪れないかもしれない。
増えたり減ったりしながら変化していく、テキスタイル産地ネットワークというこのコミュニティの不思議さを感じながら、そしてここからまた何かが始まる気がしてならないワクワクを感じながら皆で写真におさまりました。

そして始まった午後の部、最初にお話しいただいたのは赤松 智志さんです。
赤松さんは山梨県富士吉田産地で地域おこし協力隊として活動したのち、現在は合同会社を設立し、富士吉田市の様々な取り組みに関わっていらっしゃいます。

はじめに富士吉田産地について補足すると、富士山のふもと、メインの商店街からド~ンと大きな富士山を望むことのできる場所に位置する人口約5万人のまちです。(八王子市の人口は約57万人。なんとなく規模感が伝わりますか?)

この、富士吉田市は、「ハタオリマチ」として打ち出し、「繊維xまちづくり」で近年大変注目を集めている先進的な自治体なのです。

ハタオリマチフェスティバルで賑わう本町通り。2022年の開催では歩行者天国に。

2016年から始まり、今年7年目を迎えた「ハタオリマチフェスティバル」や、昨年から始まった布の芸術祭「FUJI TEXTILE WEEK」など、産業と観光が結びついたイベントで成功をおさめています。

そんな、テキスタイル産地として名高い富士吉田市ですが、もちろんはじめからそうであったわけではありません。様々な人の努力の上に、今の富士吉田市があります。赤松さんは、そんな、開かれた印象の強い富士吉田産地を形づくるキーマンの一人です。

では一体、赤松さんは何者なのでしょうか?イベント企画者?デザイナー?はたまた…

自己紹介の中で、赤松さんはご自身のお仕事について「コミュニティデザイン」という言葉をつかっていました。つまりは、誰かと誰か、何かと何かを繋げて、物事が円滑にまわる為に奔走する役割を担っているということです。それは一つの案件の時もあれば、長い目で見た地域の在り方そのものであったりもします。

そういった、赤松さんの様な存在は、成果が可視化されにくいので、ないがしろにされがちです。しかし実際は、物事がバランスの取れた歩みを進めるために必要不可欠であり、私達から見た富士吉田市の取り組み一つ一つの輝きがそれを証明しています。

今年、合同会社OULOとして法人化した赤松さんの事業。

ロゴは地下に走る苔むしたパイプをイメージしていて、社会インフラの様に目には見えないけれど、地域が快適で豊かになるような繋がりをデザインするOULOの存在をイメージしているのです。そのほかに、OULOのお仕事を「チームの調整役・見えない指揮者」とも表現していました。

そんな縁の下の力持ちである赤松さんの、地域での具体的な活動について3つ事例紹介をしてくださいました。

#1 ハタオリマチルーキーズ (繊維企業へのインターンシップマッチング)
#2 ハタオリマチフェスティバル (繊維の街で2日間開催されるお祭り)
#3 FUJI TEXTILE WEEK (布の芸術祭)

赤松さんのお話に、真剣に耳を傾ける参加者の皆さん

そして最後に印象的だったのが、
「繋ぐ」といっても、点と点の間に一本の細い線を引くイメージではなくて、面の「余白」を駆け巡るのが自分たちの役割の一つ。
最近は、「点」が強いので、点と点が自ら交わりぶつかることもある。それぞれの論理によって生じる摩擦を解決するのも、自分たちの役割の一つ。
というお話でした。

様々な人が関わるプロジェクトで、コミュニケーションの縺(もつ)れを解く “見えない指揮者” のシルエットがぼんやりと見えた気がしました。

続いて登壇者3人目、27日の締めくくりは、西村 和弘さんです。
西村さんは、前掛けの製造販売を行っています。
(『エニシング』の前掛けについて詳しくは→ こちら
愛知県豊橋市は、かつて前掛けの産地として盛んでしたが、時代の流れと共に製造業者は激減し、消滅の危機に瀕していました。

西村さんは、前掛け製造が減っていったことに関して、凄く安く取引されていたことを理由の一つに挙げています。安く作るために、品質の悪いものが大量に作られる、なので工場は薄利多売で儲からないし、安っぽい出来のものをエンドユーザーは大切に扱わない。

それはまるで、近年日本でも注目されているサステナビリティの真逆を体現した負の循環です。

そんな悲しい局面を迎えていた前掛け業界ですが、西村さんは品質の良い品を適正価格で流通することにゼロから挑戦しました。それまでは繊維とは全く異なる業界で働いていたので、本当にゼロから、です。

これは製造業全体の問題なのかもしれませんが、繊維業界では下請け工場に発注する際、激安の工賃がまかり通ってしまっている現状があります。安く売るために、原材料を節約して、人件費を節約して、節約に節約を重ねているうちに段々良い品が作れなくなったり、誰かがすごく安く働かなくてはならなかったりします。

それは良くないから改善しようって、当たり前の事みたいですが、繊維製品を安く買うことに慣れてしまった私たちの感覚を覆す、説得力のある品を提供することは、実際にはとても難しくて、それに真正面から取り組んでいる西村さんは凄いことをしているのだと思います。

前掛けの生地を実際に見せていただいた。これは「ガラ紡」の糸が使用されたもの

エニシングの前掛け生地は、約100年前のシャトル織機で織られた、厚みのある「一号帆布」です。一号というのは、帆布(はんぷ)の単位です。数が小さいほど太い糸を使用した重量感のある強い生地になります。なのでエニシングの一号前掛けは、普通に使えば50年はもつのだそう。

約100年前の織機というは、「トヨタ製」「スズキ製」「遠州製」…
車のメーカーとしてなじみのあるトヨタやスズキも、当初は織物の機械を開発していた歴史があります。

そんな古い織機を現役で動かして、しかも新工場を建設してそこで若いスタッフとともに製造しています。新しい工場には、国内外から沢山の方が見学にいらっしゃっていて、実際、エニシングの販売先は海外の方も多く、外国のお洒落なセレクトショップやミュージアムショップなどでの取り扱いがあります。

テキスタイル産地ネットワーク主宰の大田先生(右)と話す西村さん(左)

西村さんから発せられるメッセージはどれも前向きで、やる気にさせるエネルギーに満ちていました。お話を聞いていた参加者の皆さんに元気が注入され、会場全体がちょっと熱を帯びた空気に満たされました。

会の冒頭、主宰の大田先生が、こんなことをおっしゃっていました。
「テキスタイル産地ネットワークは、それぞれの場所で一人一人が頑張っていく為の仲間を地域を越えて作り、年齢も素材も作り方も関係なく、価値観を共有できる人たちが交流することで、それぞれがまた日々頑張って進んでいくための場です」

今日お話しくださった3名の方々、そして同席してくださった参加者の皆さんは、仲間なのだな、と、じ~~んとしてしまいました。

ちょっとばかっぽい感想ですが、
「色々あるけど頑張ろう!!」
と心から感じた1日でした。