岡村織物 特殊な開発で培った技術でマフラーやネクタイを開発

岡村織物 特殊な開発で培った技術でマフラーやネクタイを開発

2021/08/06

Text:森口理緒 Photo:奥田博伸、大原麻実、森口理緒

八王子市の中でも繊維関係の工場が多く残る中野上町。この町で90年続く岡村織物にお邪魔しました。今回お話を伺ったのは、岡村織物の二代目、岡村清さん87歳。長い白髪に長い白髭を纏った清さんは、仙人のような出で立ち。その見た目通り、多彩な趣味と織物に対する深い愛情はまるで本当の仙人のようでした。

最新設備で織物を学び、趣味に没頭する

工場は、清さんが生まれる数年前に始まりました。先代は織物工場を始める前に工業高校で織物の講師をしていたり、織物工業試験場のスタッフをしていたこともあり、当時から八王子工場の中でも最新の設備を導入できていたそう。

清さんは高校を卒業してすぐ工場に入りましたが、機械や道具いじりが好きな清さんらしく、工場に入る前から趣味の登山や写真に没頭。写真は展示会を開くほどで、「早く山に行きたいから、糸を繋ぐ仕事をいかに早く済ますかに力を注いでいたんだよ」というエピソードからは、好きなことをとことん極める職人気質な性格が伝わってきます。それでもやはり、一番好きなことは布を作ったり織機を触っていることだそうです。

あらゆる国の機械を使い、特殊織物の開発に力を注ぐ

岡村織物には昭和26年から動いているものから、清さんが展覧会で購入した機械まで、様々な機械を組み合わせて織物を作っています。岡村織物は現在、ネクタイやストール・マフラー生地を主に織っていますが、清さんは他と違うことをしたい性分で、若い頃は工業資材や特殊な用途の織物開発に力を注いでいたそう。1960年に開催された東京オリンピック。フェンシングの試合で使用された通電性の服地を開発したのも、岡村織物でした。開発に3年以上を有しましたが、導線を織り込む、誰もやろうと思わない布の開発ができたときはとても嬉しかったそうです。

生きる時間はつくる時間

そんな清さんは、自分の工場を「遊び場」とよく言います。同じものを一定量作る場所が「工場」だとしたら、岡村織物は常に新しい織物を考えて形にする研究所。想像とは違う織物が出来上がってしまっても、「お、面白いのができたな!」と、あっけらかんと言う清さんの姿を見ると、織物の神様が降臨したかのように見えてきます。最近は織物だけでは止まらず、手に入れた横編み機や組み紐機を使い、余った糸でニットや組紐を作っているそう。残糸を見ながら、どの糸とどの糸を組もうか、と悩んでいる顔がすごく嬉しそうで、清さんが生きている時間はずっと何かを作り続ける時間であることがわかります。生涯、この工場の中で遊び尽くすつもりだそうです。

引き継がれる作り手たち

岡村織物は現在、息子の秀基さんと姪っ子さんのお二人に引き継がれています。秀基さんは知り合いの工場へ機械を直しに行くほど機械マニア。また、織物の開発も好きで、工場の壁に掛かっている写真のようにリアルな織物の数々は、秀基さんが何ヶ月もの時間をかけて作ったそうです。お二人の力で、清さんの「遊び場」はこれからも多彩な音が響く工場になりそう。
オリジナルネクタイなども小ロットから製作可能なので、ネクタイやマフラーの企画を考えている方はぜひ連絡してみてください。


 

タテ糸を準備するための整経機は、量産用の大きいドラムが導入されている。タテ糸を作る作業は、主に清さんの弟さんである政さんがご担当している。織物の出来を左右する重要な工程だ。
ジャカード織物で作った写真風の織物。白と黒の糸のみを使い、糸の上がり下がりの具合でグラーでションを表現している。
岡村織物が作るマフラー生地。柔らかな糸をふわっと織り上げ、手織りの風合いと表情を作ることが得意。マフラーやストールは百貨店に行くことが多いそうだ。
パンチカードに穴を開けるための、パンチングマシーン。ドビー織機で織る織物に使用されることが多い。この機械で紙に穴を開け、穴が開いた部分と空いていない部分でタテ糸とヨコ糸どちらが上にくるか判断される。

岡村織物

[代表]

[所在地]
東京都八王子市中野上町1-16-12
042-622-1706

[設備]
シャトル×ドビー
レピア×ドビー織機
ジャカード×レピア機
整経機
その他準備工程用の機械

[創業]
1930年(推定)

[情報]
創業約90年。ネクタイ製造から始まり、のちに服地、マフラー・ストール地も取り組み始める。ファッション用途に使われる布を作る傍、工業資材の分野でも織物の技術を提供していた。


 ※本記事は『日本遺産「桑都物語」推進協議会』からの委託により(株)奥田染工場が「つくるのいえ」名義にて実施した調査に基づいて作成したものです。