小山織物 ファッション産業を支えた伝統技法のアイデア

小山織物 ファッション産業を支えた伝統技法のアイデア

2021/11/05

Text:森口理緒、Photo:奥田博伸、大原麻実、森口理緒

伝統と聞いて思い浮かべるのは、何十年、何百年と変わらない技法ややり方でものづくりをする姿ではないでしょうか?

しかし平安時代から続く伝統的な染めの技法を応用し、ファッションアイテムに落とし込む職人がいます。ファッション産業に近い東京の工場同士だからこそ生まれたひらめきやアイデアを探しに、武蔵村山に行ってきました。

絣生地を「量産」できる板締め染め

今回お話を伺ったのは、小山織物3代目の小山典男さん。「車が本当に好きでね。八王子で働いていた20代のころは給料の全部を車につぎ込んだよ」と語るくらい車が趣味でダンディな方です。そんな佇まいとは打って変わり、小山さんは伝統工芸の担い手でもあります。

武蔵村山周辺で作られる伝統工芸品、村山大島紬。先染めした絹糸を織る絣の一種で、40もの工程を経て作られる着物生地です。その中でも特徴的なのは、糸の染め方です。

通常絣は、糸を部分的に紐などで括って染料が入る部分と入らない部分を分け、柄を表現します。しかし村山大島紬は、「板締め」という方法で糸を染めます。
柄を作るための細い切り込みが入った100枚ほどの木の板に、糸を挟んで染める板締め。切り込みに入った糸だけに染料が入り染まる仕組みです。

板に掘る溝の位置が柄ごとに異なり、一柄のために板を100枚以上用意する必要があるこの技法は一見とても非効率で難しすぎる計算が必要ですが、板さえあれば一気に糸を防染しながら染めることがでるのが強み。
板が残って入れば同じ柄の生地をいつでも作ることができるうえ、括る作業が省かれたので絣の量産が可能になった、画期的な方法だそうです。

小山さんでは大正時代に群馬県伊勢崎からこの板締めの技法を取り入れ、現在でも糸を染めています。

※村山大島紬:東京都の伝統工芸品に指定されている着物生地。それまで瑞穂町地区には箱根縞という綿織物がありましたが、群馬県伊勢崎から銘仙の一種である板締め絣りの技術を取り入れたことで、綿から絹織物へ移行しました。

着物需要の低下と「みやしん」との出会い

村山大島紬は本場の大島紬に引けを取らない着物生地として名を馳せ、1950年〜60年代には生産量がピークに達し、一番多い時には年間14万反以上の製造だったそう。

しかし70年代に入り人々のライフスタイルが洋装へ変化して行くと同時に、着物需要は徐々に低下していきました。日常着である紬の着物も当然生産量が現状し、現在村山大島紬を織っている工房は2社しかないそうです。

そんな時小山さんが出会ったのが、八王子市内の織物メーカーである(元)株式会社みやしんの宮本さん。宮本さんは当時、名だたるDCブランドのテキスタイル作りサポートしていました。宮本さんは染めを使った新しいテキスタイルを開発するために、小山さんに連絡をしたそうです。

「小山のうちは、まだ板締めやってる?」

電話越しの一言ががきっかけとなり、小山さんは初めて糸ではなく生地に板締め染めをすることになりました。板に掘られた溝の線を利用し、生地に縞模様を作る企画だったそうです。

昭和58年、小山さんが初めて手がけたコレクション用の板締め生地

量産から一点ものを作る技法へ

板締め染めの生地を見せてもらうと、絶妙なゆらぎのある線がなんとも言えないモダンさを感じさせ、とてもカッコ良い。

染料の入り方が一定ではない板締め染めはプリントのように全く同じ物を作ることはできないですが、その分色の違いや柄の出方が場所によって異なり、一点ものの生地を作ることができます。

同じ柄を何百mも作るために開発されたはずの技法が、小山さんの手によって他では見ない特別な生地を作るための技になりました。

軽々と伝統を変えていく

「布を染めたことなんてなかったから、当時は染料も持っていかったんだよね。何もわからず企画が始まった感じ。だけど、面白そうだなと思ってやってみたってのが、最初かな」

板締めの板に、様々な木の型がくっついているものを見つけました。これは、小山さんが何年も板締めをしていく中で編み出したもの。上下から同じ型を挟み染めることで、型部分の模様だけ白く残り柄が作れる仕組みだそうです。

他にも、木の溝と締める圧力を利用して生地に畝を作ったりと、従来の使われ方だけではない方法を軽やかに生み出している小山さん。

型破りな生地開発のエピソードを淡々と話す姿を見ていると、ファッションが身近にある東京周辺の職人さんたちにとって新しいテキスタイルや技法を生み出すことは、特殊な話ではないようです。

板締めの表現に興味がある方は、ぜひ一度問い合わせてみてください。


小山織物

[代表]
小山典男

[所在地]
東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎201
042-557-0038

[設備]
板締め用染め機
板 他

[創業]
箱根ヶ崎で1923年(推定)

[情報]
箱根ヶ崎に移り、村山大島紬の糸染めと織りを行う。昭和45年に織りの設備を無くし、外注へ移行。以来、糸染めのみを請け負う。昭和58年に生地への板締め染をはじめ、現在まであらゆるブランドやメーカーと生地を作る。


 ※本記事は『日本遺産「桑都物語」推進協議会』からの委託により(株)奥田染工場が「つくるのいえ」名義にて実施した調査に基づいて作成したものです。