田口織物 思わず触りたくなる。表情豊かな生地

田口織物 思わず触りたくなる。表情豊かな生地

2021/08/27

Text:森口理緒、Photo:奥田博伸、大原麻実、森口理緒

今回お邪魔したのは、八王子市街地から抜けた住宅街にある田口織物さん。ウールや綿などを使った服生地を作る工場です。
1960年に工場を始めた先代の思いを引き継ぎながら、手織りから機械織りまで八王子らしい多品種の織物を作りを続けています。2代目の田口造治さんにお話を伺いました。

思わず触りたくなる、ポコポコした生地

田口織物では複雑な柄が織れるジャカードの織物を作っています。その中でも、ウールの縮む特性と織りの技術を掛け合わせた、立体感のある記事が得意。一部だけポコポコしていたり、大きな柄が浮かび上がっていたり。思わず触りたくなる生地サンプルが所狭しと事務所の周りに掛かっています。田口織物に来るデザイナーさんは、ここでサンプルを見ながら作りたい生地のイメージを膨らませていくと言います。

糸から織りまで、全部自分たちで

田口織物を見学して驚いたのは、設備がとても充実していることです。なんでも、先代であるお父様のモットーが「糸から布までは全部やる」だったそう。柄データを作るための紋紙に穴を開ける機械、穴を開けた紋紙を紐でつなぐ機械、整経機、ワインダー。糸の状態から生地を加工に出す前までの工程を、全て自社でまかなうことができるそうです。

八王子で現在残っている織物工場を見渡してみると、自社の中に整経や糸を巻く工程(以下、準備工程)の設備を揃えている工場が多いことがわかります。準備工程を外注し分業体制を取っている産地が多い中、八王子は自社に準備工程の機械を入れ、自社で完結するような仕組みに早い段階で移行していきました。産地としての機能がどの産地よりも早く低下していったからこそ、1軒1軒の工場が自社でできることを増やし、現在まで一貫して生地が生産できるのだと思います。

妹の求美さんは伝統工芸士の資格を持っているため、手織りで生地も作っています。工場に置いてある組紐機やミシンを使い、工場で必要な道具を自作していることも印象的でした。ニットを除いて、田口さんで作れない糸製品はなさそうだと思うくらい、糸編機械が充実しています。

織物産業の変化にどう対応していく?

田口さんは高校で繊維を学んだ後、服作りを学びに専門学校に通い、就職先も繊維問屋だったそうです。
「父親からずっと家業の話をされてきたから、他の業界に行くのは忍びなかったんだよね笑」とおっしゃる姿に、田口さんの真面目さや優しさが垣間見れました。

造治さんが会社に入ったときは、繊維産業が苦しくなっていた時期。1980年代のDCブランド全盛期にはあらゆるブランドとともに生地作りをしてきた八王子の産地ですが、現在は毎シーズン生地を活発に作る時代ではありません。

長く使ってもらえる定番の生地を作っていくために、他産地の方々と情報交換をしながら自分たちの工場が次世代に続く道を日々模索しているそうです。

素材選びから細かく親身に相談に乗ってくれる田口さん。じっくり生地を作りたい方はぜひ問い合わせてみてください。


 

ウールを使った、少し厚みのある生地。様々な柄、色を組み合わせた立体感のある生地ができるのは、糸を染めて柄を織る「先染め」生地ならでは。田口さんは天然素材を使った素朴な風合いの生地を得意としている。

織機の横にある組紐機。余った糸を使い、工場で使う紐を作っているそう。糸を無駄にしない取り組みがとても素敵。

織り組織のデータを記した「紋紙」と呼ばれる紙を繋げるためのミシン。柄1リピートに対して1連の束にする。紋紙から電子データに移行しつつある現在、このミシンを持っている織物工場はとても貴重。

工場の中には自動織機が7台ほどと、手織り機が1台ある。自動織機は全てジャカード織機であり、あらゆる密度で複雑な柄が織れる仕様になっている。


田口織物

[代表]
田口造治

[所在地]
東京都八王子市大楽寺町178

[創業]
1960年

[情報]
1960年創業。創業当初は着尺の生地を織っており、その後服地へ移行。以来、ファッション雑貨向けの生地を織っている。設備は自動織機7台と手織り機が1台、整経機1台、紋紙に穴を開ける機械1台と紐を縫う機械1台、糸巻き機械が設備されている。現在は代表の造治さん、妹の求美さんがメインで動き、先代も工場に入ることが多いそう。

 

※本記事は『日本遺産「桑都物語」推進協議会』からの委託により(株)奥田染工場が「つくるのいえ」名義にて実施した調査に基づいて作成したものです。